世界各国でライブを成功させるギタリスト・MIYAVIさんの生い立ちが壮絶すぎると話題です!
プロサッカー選手が目標だったMIYAVIさんでしたが、ある日を境に音楽に目覚めます。
MIYAVIさんが、音楽にのめり込んだきっかけや、ドラマティックすぎる経歴について、お届けしたいと思います。
MIYAVIとは?
- 本名:石原貴雅(いしはら たかまさ)
- 職業:ミュージシャン、実業家
- 生年月日:1981年9月14日(38歳)
- 出身:大阪市此花区
- 身長:185cm
MIYAVIさんは、2人兄弟の長男として生まれました。
お父さんが韓国出身で日本に帰化した方で、お母さんは日本の方なので、MIYAVIさんは「ハーフ」です。
MIYAVIの略歴
- 1989:兵庫へ引越、サッカー開始
- 1994:セレッソ大阪ユース入団
- 1996:サッカーを辞め、翌年ギターに出会う
- 1999:ビジュアルバンド加入
- 2004:ソロでメジャーデビュー
- 2006:ロサンゼルスへ留学
- 2009:melody.と結婚し独立
- 2013:映画『不屈の男 アンブロークン』出演決定
- 2014:ロサンゼルスに拠点を移す
- 2017:UNHCRの親善大使に任命
- 2018:パリ・コレでモデルデビュー
ハワイ出身の元歌手・melodyさんと交際期間1年未満の電撃結婚!
MIYAVIさんの家族は、奥さん・2人の娘さんと4人で、ロサンゼルスに在住です。
MIYAVIがサッカー少年から音楽に目覚めたキッカケとは?
今や独自の世界観とブランドを確立しているMIYAVIさん。
ここに至るまでにどんな道を歩んできたのでしょうか。
MIYAVIのサッカー少年時代
小学校2年生から地元のサッカーチームに入団したMIYAVIさん。
中学1年で「セレッソ大阪」のジュニアユースに合格し、プロサッカー選手まっしぐらでした。
- 練習場まで片道1時間以上の往復
- 学校の友人と距離が出来た
- 戦略やコーチがどんどん変わる
MIYAVIさんは追われるような毎日から、「何のためにサッカーをやっているんだろう」と感じるように。
MIYAVIの中学高校時代
右足の骨折をきっかけに、MIYAVIさんはグレました。
駅前で仲間と悪さをする毎日で、1ヶ月以上家に帰らない日も。
落ちるところまで落ちたと語るMIYAVIさん。
人生の目標を見失っていた中、不良仲間と「モテるため」とバンドをノリで始めることに。
初めて弦を弾いた瞬間に、MIYAVIさんに電撃が流れたそうです。
この楽器が、再び自分を『ここじゃないどこか』に連れていってくれるんじゃないか
MIYAVIさんは、自分がスタジアムで演奏する姿が目に浮かんだと言います。
正に、MIYAVIさんが音楽に目覚めた瞬間です。
音楽を教えてくれた先輩が急死したことをきっかけに、MIYAVIさんは高校を自主退学。
財布・PHS・タバコだけを持って、夜行バスで上京したのは有名な話。
超絶ロケンロールな人生って感じですよね!
MIYAVIのビジュアルバンド時代
MIYAVIさんは、上京した先のライブハウスでビジュアル系バンドDué le quartz(デュールクォーツ)のメンバーと出会います。
MIYAVIさんが、たった一晩で作曲したことがきっかけで、バンドへ加入することに。
作詞、作曲、編曲のほぼ全てを手掛けたMIYAVIさん。
2001年には香港ツアーやワンマンライブ敢行など、海外でも人気のグループへ伸し上がっていきました。
しかし、MIYAVIさんが徹夜で作曲に励む一方で、人気に甘んじて遊び呆けるバンドメンバー達。
「世界」を目標に掲げるMIYAVIさんは、絶望感に苛まれ沖縄へ一人旅に出ます。
沖縄で楽しく遊ぶアメリカ人を見ていると、「絶望してても仕方ない」と悩みが吹っ飛んだMIYAVIさん。
MIYAVIさんは、右手にバンド名を刻み、気持ちを入れ直しました。
人気絶頂のDué le quartzでしたが、結局メンバー間の溝は埋まらず2002年に解散。
MIYAVIのソロデビュー
才能を買われていたMIYAVIさんは、マネージャーからのアシストもありメジャーデビューを飾れることに!
2002年10月31日、ファースト・アルバム『雅楽-gagaku』をリリース。
2004年、大手・ユニバーサルミュージックからメジャーデビュー。
当時から、視線の先に『世界のトップ』を見すえていた。その本気度は群を抜いていた。自分の存在を世界に直接伝えようとデジタルやSNSでの発信にも、いち早く関心を持っていた(ユニバーサルミュージック社長・藤倉尚さん談)
ド派手な化粧と衣装の「ネオビジュアル系」を創り上げたMIYAVIさんには、熱狂的ファンがつきました。
MIYAVIはロサンゼルスへ留学
世界を舞台に活躍する為に「英語」が必須と感じたMIYAVIさんは、音楽活動を一度休止して、ロサンゼルスへ単身留学。
日本人とは一切つるまずに、ストイックに英語習得に打ち込みました。
音楽をやれる時間に、なんで自分は、こんな小学生レベルの英語やってんだと泣きながら机に向かった。あき時間には路上に出て、即興ライブで実践を重ねた。
(出典:https://globe.asahi.com/article/11530292)
MIYAVIがSKINデビュー
ある日、MIYAVIさんに大御所から声が掛かりました。
X JAPAN・YOSHIKIさんとGACKTさんが立ち上げるバンドに、MIYAVIさんを誘ったのです!
2007年、MIYAVIさんの加入が決定。
LUNA SEAのSUGIZOさんも迎え、『SKIN』というバンドを結成。
チケット販売開始後、アクセス殺到でサーバーダウンする程の絶大な人気ぶりだったようです。
まとめ
サッカー少年だったMIYAVIさんがロッカーになるまでの生い立ちを紹介してきました。
- MIYAVIさんはギターとの出会いが音楽に目覚めたきっかけ
- MIYAVIさんは上京後にビジュアル系バンドに加入
- MIYAVIさんはバンド解散後にソロデビュー
- MIYAVIさんはYOSHIKIさん達とバンドを組んだ経験も
MIYAVIさんのストーリーがドラマチックすぎますよね!
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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