画像引用)https://www.instagram.com/p/CLtYT2ShLOB/
競泳の瀬戸大也選手の奥さんとして知られている馬淵優佳さん。
実はご自身も、元飛び込み選手として数々の大会で活躍された元アスリートだったんです。
そこで、飛び込み選手時代のことや、馬淵優佳さんのコーチとして指導されていたお父さんのことなどを調べてみました。
馬淵優佳は元飛び込み選手
3歳の頃から水泳を始めて以来、19年間にわたって飛込競技を続けてきた馬淵優佳さん。
競技を始めたきっかけはご自身の気持ちの中で芽生えたものではなく、飛込競技の指導者であるお父さんにプール連れられていくうちに当たり前のように始まったといいます。
初めて飛び込み台に立ったのは、浮き輪つけて飛び込んだ3歳の時だったそうです。
そして、小学生になった6歳の頃から、本格的に飛込競技を始めるようになりました。
習い事としてお父さん以外の別のコーチから指導を受け、同じ年頃の選手たちとする練習が本当に楽しかったという馬淵優佳さんでしたが、小学4年生の時に中国から来た新しいコーチの指導が始まると、楽しかった練習が一転。とても厳しい指導に毎日泣いていたほどだったんだとか。
しかし、そんな厳しい練習の甲斐あって、中学生だった2008年の日本選手権では2人で息を合わせて行うシンクロの高飛び込みと3m板飛び込みで初優勝を果たし、翌年2009年の日本選手権では3m板飛び込みで2位、香港で行われた東アジア大会では3m板飛び込みで銅メダルを獲得。
周囲の選手からも一目置かれる存在となりました。
しかし、その活躍とは裏腹に馬淵優佳さんの心の中に広がっていたのは「辞めたい」という気持ちだったそうです。
私の心の中の願いは「普通になりたい」だった。今思えば贅沢な悩みだが、周りと違う生活を送っていることに自信がなかった。大会で優勝しても、そんなことよりただ、みんなと同じ生活がしたい、楽しく生きたいという想いが強かった。中学生になると、周りの友達はみんな青春をし始める。学校終わりに友達と遊びに行ったり、放課後学校に残ってみんなで話したり……それが羨ましくてたまらなかった。
引用)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79149?page=3
好きな芸能人の話をしたり、その時流行っているものの話をしたり、友達同士で映画を観に行ったり、そういうみんながしている当たり前の青春を全部我慢して練習に向き合わなければならなかったのは、中学生の女の子には辛かったことだと思います。
さらに、中学3年生になるとお父さんの指導を受けるようになり、プールでは「コーチ」と
呼び、家では「お父さん」と呼ぶ日々が始まりました。
コーチとしてのお父さんの指導はとても厳しく、高飛び込みで10mの高さから飛び込む恐怖心を克服させるために「コーチはもっと怖い、跳んだほうがましだと思わせる。そうやって恐怖に負けない心をつくる」と、スパルタといってもいいくらいの指導法だったそう。
一度だけ、お父さんに「辞めたい」と言ったことがあるそうですが、お父さんから返ってきた言葉は「辞めて何するんや」という一言だけ。
飛込競技を続ける意味を見出せなくなっていたという馬淵優佳さんでしたが、高校2年生の時に転機が訪れます。
上海で開催された世界選手権の際に、現地で応援してくれた祖父母の喜ぶ顔を見て「自分が競技をすることで喜んでくれる人がいる」と実感し、競技に対する気持ちも前向きなものに変わっていったそう。
上海では予選敗退という結果に終わってしまいましたが、その後、インターハイでは板飛び込みで3年連続の優勝に輝き、さらに、立命館大学時代にも、2015年、2016年と優勝しインカレ2連覇を果たすなど華々しい成績を残しました。
その後、2017年に惜しまれつつ現役を引退されています。
父は飛込競技の第一人者
馬淵優佳さんを飛込競技へと導いたお父さんは、馬淵崇英(まぶち すうえい)さんといって、全日本ナショナルチームで飛込競技のヘッドコーチを務めています。
「日本飛び込み界の第一人者」とも言われ、日本代表選手を多く指導している方なんです。
馬淵崇英さんのプロフィールがこちら。
生年月日:1963年10月20日
出身地:中国上海
旧名:蘇薇(スー・ウェイ)
馬淵崇英さんご自身は、小学6年生から19歳まで飛込競技をされていました。
1988年に語学留学のために来日した翌年、1964年の東京オリンピックで板飛び込み7位入賞の活躍を見せた元飛込競技選手の馬淵かの子さんの誘いを受けて、兵庫県宝塚市の「JSS宝塚スイミングスクール」のコーチに就任しました。
来日から10年経った1998年に馬淵崇英さんは日本に帰化。日本国籍を取得した際に、馬淵かの子さんの姓をもらって、旧名だった蘇薇から現在のお名前「馬淵崇英」となりました。
コーチに就任されてから、多くの日本代表選手を育て上げてきた馬淵崇英さん。
1991年、競泳選手だった当時小学5年生の寺内健選手が飛板で遊んでいる姿を見て、飛込選手としての資質があると感じた馬淵崇英さんは、寺内健選手に競泳から飛込へと転向することをすすめ、上海の合宿に連れていくなど二人三脚の指導を始めます。
厳しい練習を積み重ねた寺内健選手は、1994年に日本選手権の高飛び込みで史上最年少での初優勝。1996年にはアトランタオリンピックで決勝進出。
その後も、シドニーオリンピック、アテネオリンピック、北京オリンピックに出場した他、数々の世界大会に出場しメダルを獲得しています。
寺内健選手以外にも、今年開催予定の東京オリンピック内定選手として注目されている女子選手、荒井祭里選手も馬淵崇英さんが指導されている選手です。
日本飛び込み界に待望の新星が現れました。
兵庫県宝塚市の中学1年 #玉井陸斗 選手(写真中央)が、男子高飛び込みで最年少優勝を果たしました。
世界王者らと遜色ない高難度の大技が揃った構成でした。 #寺内健 選手(写真左)を「世界一を目指せる逸材」とうならせました。 https://t.co/Rx6m5cOJWt pic.twitter.com/Ls4Eqi8kMp
— 毎日新聞オリパラ取材班 (@mai_spo_gorin) April 21, 2019
さらに、飛び込みの最年少優勝記録を次々に更新していることで注目されている玉井陸斗選手も馬淵崇英さんの教え子。
これからも、そんな馬淵崇英さんに鍛え上げられた選手たちが世界で活躍する姿に期待したいですね。
Twitterで引退を表明
皆さんにお伝えするのが遅くなりましたが、私は8月のユニバーシアードを最後に競技を引退することにしました。今まで沢山応援をしてくださり本当にありがとうございました。第2の人生も頑張りたいと思いますので今後ともよろしくお願い致します。 pic.twitter.com/ypKPHs8RaR
— 馬淵優佳 (@yuka_m_0205) November 28, 2017
2017年11月28日に、ご自身のツイッターで引退することを発表されました。
引退の理由については詳しく語られていませんでしたが、当時22歳という若さでまだまだ選手生活を続けられそうな印象が強かっただけに、実は体調不良なのでは?という噂や、ご主人の瀬戸大也選手のサポート役に徹するのでは?との噂もあったようです。
しかしその後、2018年6月26日に第一子となる長女を出産されたことを発表されました。おめでたによって引退を決意されたことようですね。
そんな馬淵優佳さんにとって、現役最後の出場となったのが2017年8月に台北で開催された「第29回ユニバーシアード競技大会」。
本大会には、ご主人の瀬戸大也選手も参加されていて夫婦としては初めて一緒に参加された大会となりました。
馬淵優佳さんは、飛板飛込と高飛込のそれぞれの結果を総合して順位を決める団体戦で、榎本遼香選手、金戸華選手と共に銅メダルを獲得しました。
飛込選手として最後の一本を飛び終えた時には、厳しかったお父さんから抱きしめられて「お疲れ様。よく頑張ったな」と労いの言葉をもらい、プールサイドで涙が溢れたそうです。
現役時代は馬淵優佳さんの拠点が関西、瀬戸大也選手の拠点が関東だったことから離れ離れで生活をされていたお二人でしたが、引退を発表された時にはすでに同居を始められていたそうで、結婚後初めて迎えるクリスマスは新居で一緒に過ごされたそうです。
現在は、瀬戸大也選手のサポート役として、脂質を抑えつつも満足感が得られるメニュー作りや、リビングでテレビを見ながらストレッチやマッサージができる環境づくりに取り組んでいるという馬淵優佳さん。
元アスリートとしての経験や知識を活かして、ご主人を献身的にサポートしています。
馬淵優佳 プロフィール
名前:馬淵優佳(まぶち ゆか)
本名:瀬戸優佳(せと ゆか)
生年月日:1995年2月5日
出身地:兵庫県宝塚市
身長:166cm
血液型:A型
出身校:立命館大学 スポーツ健康科学部
2017年5月に瀬戸大也選手と入籍し、現在は2児の母となった馬淵優佳さんですが、2020年9月に瀬戸大也選手の不倫報道があり大きな話題となってしまいましたね。
他人の夫婦の浮気に
どうこう言うつもりはないけど、
子供の送り迎えの前に
浮気相手とラブホに行っていたというのはちょっと、、どんな気持ちだったんだろう pic.twitter.com/xWvmqvt1tt
— miho@恋愛マニア (@VX4Jf40dlfqR1nz) September 23, 2020
離婚に発展するのでは?との噂もありましたが、馬淵優佳さんはこのようにコメントしています。
人間である以上、誰だって失敗はします。大事なのは、その失敗から何を学ぶか。結婚式で『病める時も健やかなる時も』と誓った以上、私自身この騒動を経た彼がどう変わるか見届けてからじゃないと離れられない。
引用)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76531?page=5
生半可な気持ちで結婚したわけではないからこれからも瀬戸大也選手のそばにいる、という気持ちが伝わってきます。
活動停止処分を受けていた瀬戸大也選手も、2021年2月に開催されたジャパンオープンで実戦復帰されたようですし、馬淵優佳さんの為にも頑張ってほしいですね。
2017年に瀬戸大也選手との結婚を機に「アスリートフードマイスター」の資格を取得し、瀬戸大也選手の体調に合わせたメニュー作りに取り込んでいるという馬淵優佳さん。
太ってきたなと感じたら鶏むね肉やきのこを使ったヘルシーメニュー、試合後など体力の消耗が激しい時は丼ものなどのエネルギーに変わりやすいものと、日々工夫されているんだそうです。
インスタグラムにもお料理をたくさん紹介されています。
どれも美味しそうですよね。
こんなに美味しそうなお料理が食べられる瀬戸大也選手が羨ましいです。
2020年7月には味の素の「勝ち飯マイスター」に就任し、味の素のCMにも出演されました。
2月2日は #夫婦の日 💑#競泳 #瀬戸大也 選手 優佳夫人が出演する #勝ち飯 新CMはご覧になりましたか?#ビクトリープロジェクト はお二人と相談しながら献立を共同開発しているんです♪
お子さんも可愛いし、すごく仲睦まじいご夫婦なんですよ💕うらやましい~😍 pic.twitter.com/U5lLeayTL8— AJINOMOTO×SPORTS (@aji_spo) February 1, 2020
また、フジテレビ「ジャンクスポーツ」や日本テレビ「幸せ!ボンビーガール」などのバラエティー番組に出演される他、2021年2月には「マーダーミステリーシアター 演技の代償」で女優デビューをしている馬淵優佳さん。
ご自身の演技を振り返り、「大声で叫びたくなるくらいの達成感があった」とコメントされています。
ショートカットが良く似合う可愛らしい印象の馬淵優佳さん。これから多方面で活躍されそうですね。
まとめ
馬淵優佳さんについて、飛込選手としての経歴や指導に当たったお父さんの馬淵崇英さんのことなどを調べてみました。
これまでは「瀬戸大也選手の奥さん」という以外、あまり馬淵優佳さんのことを知らなかったのですが、飛込選手として大いに活躍された方だったんですね。
結婚されてからもアスリートフードマイスターの資格を取得したり、バラエティー番組への出演や女優デビューと様々なことに挑戦されていて、その前向きさにパワーをもらえる感じがしました。
今後の活動にも注目していきたいですね。
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