画像引用)https://www.asagei.com/excerpt/101344

2014年のSTAP細胞騒動により一躍有名となった小保方晴子さん。
過熱した報道から逃げるように姿を消してしまいましたが、その後グラビアに登場するなどまだまだ話題を呼んでいるようです。
そこで、小保方晴子さんの現在の様子やプロフィールなどを調査してみました。

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小保方晴子さんとSTAP細胞

2006年3月に早稲田大学理工学部応用化学科を卒業後、早稲田大学大学院に進学すると「微生物」から「再生医療」へと専門分野を変え、東京女子医科大学先端生命医科学研究所の研修生となった小保方晴子さん。やがて「幹細胞」について研究を始めるようになります。


そして、幹細胞を取り出す実験を繰り返していた2010年、「幹細胞は外部からの刺激によりできている」ということを発見します。
こうした「刺激によって引き起こされた多能性の獲得」を意味した英語の頭文字から「STAP」、それで得られる全ての生体組織と胎盤組織に分化できる多能性を持った細胞を「STAP細胞」 と名付けました。


2011年4月から理化学研究所でSTAP細胞の研究を開始し、2014年1月に「Nature(ネイチャー)」という学術誌に論文を発表すると、「リケジョの星」「ノーベル賞級の発見」として一躍有名になった小保方晴子さん。
その研究成果と共に、若くて可愛らしい雰囲気や白衣代わりに着ていた白い割烹着姿も話題となるなど、まるでアイドルのように注目を集めました。


しかしその後、発表した論文に不正や捏造が疑われ理化学研究所やNature誌が本格的に調査を始めると、アメリカ国立衛生研究所のWEBサイトからの英文のコピーや画像の流用などが明らかとなり、その中には「故意による不正」もあったことが認定されることに。
つまり、小保方晴子さんの作成した論文にはコピペが非常に多く見られたということになります。
この不正認定に対し弁護団を通じ不服申し立てをした小保方晴子さんでしたが、このことが大きな騒動となってしまい、小保方晴子さんの立場は一転。報道が過熱し、世の中からバッシングを受けるようになってしまいます。
2014年4月に行われた釈明会見での「STAP細胞はあります」という発言は、まるで流行語のように多くの人々の記憶に残るものとなりました。


また、STAP細胞について「200回以上の作製にも成功した」との主張もありましたが、その後行われた検証実験でもSTAP細胞を再現することは出来なかったという結果に終わってしまったのです。
さらに、理化学研究所で小保方晴子さんの上司だった笹井芳樹さんが、この騒動でメディアによる批判を受けたことで追い込まれ自殺に至るという悲劇にも発展し、報道姿勢や警察の対応も問われるなど大きな波紋を広げる事態となりました。


2014年12月に理化学研究所に退職願を提出し、その後、小保方晴子さんは私たちの前から姿を消しました。
そもそも、小保方晴子さんのSTAP細胞に関する論文がNature誌に発表される前に、理化学研究所やNature誌が論文について本当に不備や不正がないか綿密にチェックしていたら、もしかしたらこのような騒動にはなっていなかったのかもしれないという気もします。
今となっては、STAP細胞が本当にあったのか無かったのかは分かりませんが、小保方晴子さんの人生にとって、STAP細胞が与えた影響は計り知れないものとなってしまったようです。

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小保方さんの現在は?

STAP細胞騒動により職場を追われ博士号も剥奪された小保方晴子さんですが、現在は、東京都内の洋菓子店でパティシエとして働いているという情報があるようです。


リケジョとして日々実験に明け暮れる毎日を過ごし、スイーツどころか料理そのものに縁遠いイメージがあったので、とても驚きました。
そして、気になるのは小保方晴子さんが勤務されているというお店。

驚くのは小保方さんが働いている洋菓子店の評判だ。スイーツ好きの間では「一生に一度は食べてみたい」と言われるほどの超有名店なのだ。かつてはスイーツを買い求める客で長蛇の列が当たり前という状態だったが、高級住宅街の中にあることもあり、数年前から完全予約制になった。2020年1月の営業日数は週末限定のたった7日間。激レア度が増して予約困難の状況になっている。
引用)https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/266939

このように報じられ、Twitterでもそれはどこのお店なのかと話題になりました。


東京都内の洋菓子店は数多く存在しているため定かではありませんが、Twitter上では「パティスリーリョーコ」というお店なのではないかとの声が多いようですね。
「一生に一度は食べてみたい」とまで言われる評判のお店のようですが、実際の評価はどうなんでしょうか。


相当な大人気店のようですね。
理化学研究所に勤務していた頃も研究の合間をぬって、スイーツ店でケーキ作りの練習をしていたという小保方晴子さん。今ではこのような大人気店で勤務されているんですね。
持ち前の研究熱心さを活かし、もしかしたらケーキの腕前もかなりのものなのかもしれません。


そして、スイーツ店勤務と同時に報じられたのが、仕事帰りに雀荘を訪れて麻雀をしているというこちらの姿。
スイーツ店勤務も意外でしたが、麻雀はもっと意外でした。
STAP細胞騒動によって博士号も剥奪されるなど、地位も名誉も地に落とされた小保方晴子さんですが、もともと頭の良い方なんでしょうから、麻雀も強そうですよね。
そしてさらに、男性との同居も報じられています。

「同棲をはじめたのは、19年の初めころのようです。お相手は、小保方さんと同じく千葉県内に実家がある男性。彼が都内に購入した家に彼女が移り住んだ格好ですね」
引用)https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01080559/?all=1

雀荘では同棲相手の姓で呼ばれているとのことで「事実婚状態か?」とも報じられました。
正直なところ、小保方晴子さんの存在をすっかり忘れていたのですが、こうした報道がされているところを見ると、世の中の人たちの小保方晴子さんへの関心はまだまだ高いように思いました。
そして、STAP細胞騒動時にあれだけのバッシングを受けながらも、今では超人気スイーツ店に勤務し、仕事帰りには趣味の麻雀をして、彼氏と都内で同棲中なわけですから、けっこう幸せに暮らしているようにも思えます。
不幸でいる必要はありませんが、何ともたくましく生きている小保方晴子さんにとてつもない力強さを感じてしまうのでした。
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グラビアに挑戦していた!

長らく表舞台から姿を消していた小保方晴子さんが、グラビアデビューか?と話題になったのが2018年。
女性誌「婦人公論」で、2017年から約1年間にわたって「小保方晴子日記 -「あの日」からの記録」と題した連載をされていた小保方晴子さん。
その連載をまとめた一冊として「小保方晴子日記」が2018年3月20日に発売されたのですが、発売に際して「婦人公論」に掲載されたグラビアがこちら。


篠山紀信さんの撮影によるこちらの写真。
「小保方さん綺麗になったなあ」というのが、この写真を見た時の私の感想でした。
「リケジョの星」として注目されていた頃の小保方晴子さんのイメージといえば、やはり白い割烹着姿で試験管片手に研究に勤しむ姿。
当時も「研究者」という言葉から感じるお堅いイメージとは違い、ふんわりとした可愛らしい印象で注目を集めていましたが、当時と比べるとだいぶ垢抜けた感じです。


Twitterではグラビア登場に対する驚きの声も見られました。
ちなみに、こちらの写真で小保方晴子さんが着ているワンピースですが、撮影のために用意された衣装だったのかご自身で用意されたものなのかは定かではありませんが、グッチのワンピースで21万円もするお高いものなんだそうですよ。
そして、さらに話題となったのが同年5月発売の週刊文春に掲載されたグラビアでした。


過去には、吉永小百合さんや綾瀬はるかさん、マライア・キャリーさんといった名だたる面々が彩ったことでも知られる同誌の名物企画「原色美女図鑑」に、ノースリーブの黒いワンピース姿で登場した小保方晴子さん。
「婦人公論」に掲載されたグラビアと同じく、こちらも篠山紀信さんによる撮影です。
プロのメイクさんやスタイリストさんが仕上げたせいもあるかもしれませんが、全体的にほっそりとしてお綺麗な印象です。
もちろん、STAP細胞騒動が原因で痩せてしまったというのはあるかとは思いますが、「やつれた」という感じではなく「痩せてきれいになった」という感じ。
それにしても、2014年のSTAP細胞騒動からこの時点で4年。
世間ではほとんどの人が小保方晴子さんのことを話題にしなくなったタイミングで、なぜグラビアに挑戦されたのかは疑問に思います。


「メンタルが強すぎる」という声が出るのも納得です。
著書である「小保方晴子日記」には、精神科に入院していたことや死の淵をさまよったことなどが綴られているようですが、そのような経験をしたなら、世間の目に触れるようなことは極力避けたいと思うのが普通なんじゃないかと思うのです。


グラビアに挑戦というのはちょっと違うんじゃないかという意見もありますね。
確かに、あの騒動で苦しい思いをしたのが小保方晴子さんただ一人ならいざ知らず、ご自身の家族はもちろん、関係者のご家族も私たちの知らないところで苦しんでいたに違いありません。
そういった人たちのことを思ったら、グラビアに挑戦という選択はいかがなものだったのかと思います。
4年ぶりに世間に姿を現し、騒動当時からは見違えるほどお綺麗になった姿でグラビアに登場した小保方晴子さんでしたが、グラビアそのものについて触れている人はあまりおらず、全体的に冷ややかで厳しい反応になってしまったようです。
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小保方晴子さんプロフィール

1983年9月25日生まれ、千葉県松戸市出身の小保方晴子さん。
一流企業に勤める父と大学で臨床心理学の教鞭をとる母、そして双子の姉に囲まれ末っ子として育ちました。
幼い頃から生命や再生医療に関心を持ち研究者を目指していたといいます。
東邦大学付属東邦高等学校卒業後、OA入試で早稲田大学理工学部応用化学科に入学すると、ラクロス部で活動していたという一面も。
ラクロス部の早朝練習後はたいていの生徒がラフな格好で授業に出る中、小保方晴子さんはきちんとした女性らしい服装に着替え、靴もハイヒールを履いていたんだとか。
後にテレビなどで見るようになった時もロングの巻き髪にしていたり、ちゃんと「女子力」を意識するタイプのようですね。


その後、早稲田大学大学院などを経て理化学研究所でSTAP細胞の研究開発に取り組むことになった小保方晴子さんですが、大学院時代にはハーバード大学医学部に約1年間留学された経験もあるんです。
留学中にはハーバード大学で行われるあらゆるセミナーに参加し新たな刺激を多く受けたといい、研究室では小保方晴子さんを含む国籍の違う4人の女子が在籍していたそうで、一緒にカフェに行ったり洋服を買いに行ったり将来について語り合ったりと充実した時間を過ごされたそう。


早稲田大学大学院在学中にハーバード大学医学部へ留学なんて、本当に絵に描いたようなエリートコースを歩んでこられた小保方晴子さん。
だからこそSTAP細胞という万能細胞ともいわれたものの研究開発を行う道に繋がったのかもしれませんが、今となればその存在の有無すらわからないSTAP細胞が小保方晴子さんを地獄へ突き落すことになってしまいました。
騒動後発売された、著書の「あの日」(2016年1月発売)と「小保方晴子日記」(2018年3月発売)には、一連のSTAP騒動のあとで鬱やPTSDなどの症状に苦しみながらどのような時間を過ごしていたかが綴られており、メディアで取り上げられたこともあり話題となりました。


2016年4月26日号の「婦人公論」には「あの日」を読んだという瀬戸内寂聴さんがコラムを寄せました。

〈あなたの受けたマスコミを通してのもの凄いバッシングには涙がでました。(中略)不幸にもあなたは今、人生のどん底にいます。でも何でもどん底に落ちると、その勢いではね上がるものです。絶望しないで、はね上がってください。日本だけが生きる場所ではない。必ずあなたはよみがえります。私のように〉
引用)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48757?imp=0

かつて、ご自身の文学作品が「ポルノ小説」と批評家たちに酷評され、「子宮作家」と世間からバッシングを受けた過去があるという瀬戸内寂聴さん。
同じように世間からバッシングを受け続ける小保方晴子さんのことを、とても他人事だとは思えなかったのかもしれません。
この言葉を受け「まるで心が溶け出したような涙が溢れた」という小保方晴子さん。
そしてその後、同誌で小保方晴子さんと瀬戸内寂聴さんの対談が掲載され、こちらも話題を呼びました。


世間を騒がせた一連のSTAP騒動の中、小保方晴子さんに対するバッシングは日々強まっていきましたが、同情する声も見られています。


結局、STAP細胞の存在の有無も分からないまま終わってしまったこの一連の騒動。
バッシングにしても同情や擁護にしても、様々な意見が出るのは当然のことかもしれません。
そうした中で小保方晴子さんがこれからどのように生きていくのか、その動向が気になりますね。
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まとめ

STAP細胞騒動により、つかの間の天国から地獄へと落とされてしまった小保方晴子さん。
世間の目から逃げるように雲隠れしていましたが、グラビアに登場するなど再び注目を集めました。
現在は都内の洋菓子店でパティシエとして働いていると報じられるなど、STAP細胞のことは忘れても小保方晴子さんに対する世間の関心はまだまだ薄れていないようです。

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